2020年11月5日木曜日

ぼんやりと考えている無駄なこと

こんにちは。プレッシャーに弱いてくねちおです。

11月になりました。この間、職場(私に職はないが)にいる海外出身の方が「11月3日は祝日らしいけど、文化の日っていうのはどういう文化なの?」と訊ねたところに、日本人の方が「文化は文化だよ、ほら…大学の学園祭なんかはこの時期によく開かれるんだ」というような返しをしていたのが印象的でした。それはある意味でもっともらしくて、でも実は正しくないわけですが、祝日の建前上の意味をいちいち覚えているような人はまずいないでしょうから、無理もありません。


文化の日、というとなんだか漠然としています。調べてみますと、いわゆる祝日法の第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としているのだとか。これは昭和21年11月3日に日本国憲法が公布されたことに由来するというのが表向きの理由ですが、それ以前は明治天皇の誕生日(天長節、明治節)として祝われていた日なのだそうです。

ところで、いまだに「祝祭日」という語を使う人がいますが、現在の日本には祭日は定められていないのです。ですが、戦前の国家神道の祭日の名残として、現在も同じ日に(別の名前で)定められている祝日がありますから、それを祭日とみなしてもよいのかもしれません。たとえば、11月23日は勤労感謝の日という祝日ですが、これは新嘗祭の祭日でした。勤労は国民の義務の一つとして定められているわけで、誰がどのような形で勤労に感謝するのか、だなんて考えてしまいます(ちなみに、祝日法には「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」と書かれているようです。まったくもって意味が分かりません)。



閑話休題。本題に入りましょう。本記事の題目は『ぼんやりと考えている無駄なこと』です。さっそく、題目が五七五になったな、などと無駄なことを考えています。ここ最近思い立ったようなことではないのですが、しばしば「もしも今の進路を選んでいなかったら、ほかにはどんな可能性があっただろうか」といったことを考えることがあります。きっと、皆さんも一度は考えたことがあるのではないかと思います。

例によって、私はハイティーンの頃からいわゆる理系、なかでも工学系のルートを歩んできました。一口に工学と言っても中身はまさに千差万別なわけで、この道の中でもどこを選ぶかという問題は常にありますし、そういう意味でもいろいろと思うところはあります。が、ここでの話題はそういった小さな違いではなく、大きく異なるルートを選択していたらどうなっただろうか、という果てのない妄想なのです。


よく考えるルートは二つあります。一つはガチガチの文系で、例えば文学部・史学科みたいなところ。もう一つは芸術系、これは写真の趣味に引きずられたものです。

中学を出た後はずっと"理系"と言われるところにいた私としては、文系の世界を味わってみたいという気持ちがあります。どっぷり浸かりたいかと言えばそうではないですが、周囲の話を聞く限りでは文系の世界は文化から習慣から全く異なるそうで(人によっては理系の学生がやる実験実習が全く想像できないというケースもあったので)、覗いてみるだけでもしてみたいな、だなんて思います。思い返してみれば、中学時代に得意としていた科目は(あくまでも試験で点数が稼げたという意味で)社会科と国語科でした。小学校高学年の頃にはWikipediaで歴史上の人物の記事を読みあさることに没頭し、明治維新以降の政治家や歴史上の事象についてよく調べていたような覚えがあります。読書の習慣がなかった少年期の私がすることと言えば、外へ出て木登りをするか、ゲームボーイでポケモンをやるか、パソコンで卑猥な言葉を検索するか、Wikipediaを読みあさるか、それくらいでした(当時更新していたブログがありましたが、それはまだ別のお話しです)。ただ、幼少期からぼんやりとした科学者への憧れを持っていた私は、工学系の道に進むことを選んだのでした。数学も理科もこれと言って得意ではなかったのですが、なぜかできると思い込んでいたし、進んでからもそれに苦しまされるほどの経験はしてこなかったので、まあ結果オーライなのでしょうか。特に工学系で使う数学はセンスよりも訓練で身につくというところがありますから、そういう努力が苦手な私にとっては、数学にはいまだに苦手意識があります。

さて、文系に進んだところで、私は何を専攻することができたでしょうか。こればかりはよくわかりません。昔から地理や歴史が好きな私ですから、おそらく日本史なんかを専攻しようとした可能性は想像に難くありません。語学はないだろうし、政治や経済にはあまり興味がなかったし、社会科学はどうか……。そもそも文系の学問に疎いので、やっぱりよくわかりませんね。


もう一つの可能性はどうでしょう。例えば芸術系の大学に進むことができたとします。文系の場合と同じように、芸術系の学生が何をしているのか私には全くわからないわけですが、私はずっと写真をやってきましたから、仮に写真を専攻したとしましょう。ひょっとしたらコンピュータグラフィクスなどにも興味を持っていたかもしれません。芸術系の学校の写真学科では何を学ぶのでしょうか、これもよく知りません。専門学校に通っていた知人の話によれば、実習課題が多く、かなりたくさんの写真を撮って、たくさんのフィルムを現像して、課題を提出していたなどと聞きます。この手の能力は場数を踏まないことには身に付きません。プロの写真家になるような人達の中には、師匠のもとで厳しい下積み生活を送るような人もおられるそうです。嘘か真か、大物の写真家になると、セッティング等々はすべてアシスタントがやって当人はシャッターを切るだけ、なんて話もあるくらいです。とにかく場数を踏むことが重要で、いわば量が質を生むというような感じでしょうか。知りませんけど。

私には写真を撮るセンスというものが圧倒的に欠けていますから(これは訓練によってある程度養えるはずのものですが)、そういう方向に進んだところでいかにもがいて自分のカラーを出せたものか、これは見物だったと思います。


こうして改めて文章にしてみると、私がぼんやりと妄想していたIF物語たちは、驚くほどに解像度の低いものであったことが明らかになりました。隣の芝は青いと言いますが、まさしくそれで、青く見える隣の芝を遠くから指を咥えて眺めているだけで、それをよく観察しようとはしてこなかったということですね。とはいえ、これはあくまで妄想、本気ではないわけですから、これでもいいのかもしれません。

もう一つ大きな問題があります。大学受験です。仮に普通科の高校に進学したとして、人並みの大学受験をしたとして、私は所望の大学、学部に進むことが果たしてできたのでしょうか。これは大きな大きな謎です。私は泥臭い地道な努力を嫌う性格です。結果はなんとなく想像がつきます。私がどんな想像をしているかについては、読者の皆さんのご想像にお任せします。

それから、異なる進路を選んでいたとして、その先はどうなっていたでしょうか。こんな私ですから、どんな道を選んだとしても見える一つのシナリオがあります。私はきっと大学院に進学して、袋小路に陥ることになります。文系の大学院生がなかなか苦労しているという話はよく耳にしますし、芸術系の場合もきっと平坦な道ではないだろうと想像します。理系にいる現在でさえ雲行きが怪しくなってきている現状、ほかの道に進んでいた日には、どうなっていたことでしょうか。もちろんよいシナリオもあり得るでしょうが、悪い方向に考えてみると想像が止まりません。結局のところ「何をやっているかよくわからない偏屈な人」という評価をなされるのではないかと思っています。つまり、現状とほとんど変わらないのです。


どう転んでも同じ結末を迎えてしまいそうなのは、世界がそのようにできているからなのか、それとも私の想像力が乏しいだけなのか。おそらく後者なのでしょう。想像力を膨らませるためには豊富な知識が不可欠です。今からでも遅くない、ということで、ちまちま勉強をしていきたいと思います。



ここ数か月、精神的にしんどい時期を過ごしていましたが、最近になって少しずつ楽な心持になってきました。少々失ったものもあるのですが、それはそれということで……。根性をこれから鍛えていくというのはなかなか難しいところがありそうです。でも、この根性のなさはどうにかしなければならないと思っています。気張らずにやっていきたいですね。




光あれ。最近写真を撮っていないから、昔の写真でごまかすてくねちおでした。


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