2016年2月10日水曜日

宮沢賢治『春と修羅』より

こんばんは.てくねちおです.唐突ながら,宮沢賢治作品にちょっと,興味を持ち始めました.
なんだかすごい文章です.

というわけで,『春と修羅』の気になった部分を断片的に引用(青空文庫から引っ張ってきました).
カッコの中身がよくわからないというのがまた,なかなか.


わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといつしよに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

(序より)

けだしわれわれがわれわれの感官や

風景や人物をかんずるやうに

そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに

記録や歴史 あるいは地史といふものも

それのいろいろの論料データといつしよに

(因果の時空的制約のもとに)

われわれがかんじてゐるのに過ぎません

(序より)


けさはじつにはじめての凜々しい氷霧ひようむだつたから

みんなはまるめろやなにかまで出して歓迎した

(イーハトヴの氷霧)


そらにはちりのやうに小鳥がとび

かげろふや青いギリシヤ文字は

せはしく野はらの雪に燃えます

パツセン大街道のひのきからは

凍つたしづくが燦々さんさんと降り

銀河ステーシヨンの遠方シグナルも

けさはまつに澱んでゐます

(冬と銀河ステーシヨンより)


それではごきげんよう.


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