2018年2月19日月曜日

てくね式写真講座 第1回「いい写真って、なんだ?」

 こんにちは。脱力感が取り柄のてくねちおです。

 てく講(「てくね式写真講座」の略です)記念すべき第一回目のテーマは「いい写真って、なんだ?」です。わざわざ写真講座なる記事を読んでいる皆さんは、きっと「いい写真」を撮りたくてそうしているのだと思います。皆さんをがっかりさせないために、私なりの「いい写真」の定義、また、「いい写真」を撮るために押さえておきたい心構えについて、まずは述べておきたいと思います。




 以前からやるやると言っていた、てくね式写真講座、やると言ってからそろそろ1年半ほどが経つことになります。これではいけないと思い、なにか記事を書いてみることにしました。本来であれば、全体の構成を示した後、順を追って内容を深めていくのがよいと思っていたのですが、なにぶん私は完璧主義(笑)なもので、完璧にできないと思った仕事には取り掛かれないのです。ですから、全体で質の良いものを作ることはできないかもしれませんが、せめて個々の記事くらいはハイクォリティなものにしたいと思っていますので、なにとぞお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。



 さて、初回のテーマは「いい写真」についてです。皆さんは、この写真を見て、どう思いますか?


これは、「いい写真」でしょうか?私はあまり「いい写真」ではないと思います。特に理由には触れませんが、これから挙げるいくつかの観点から、この写真のいいところ、よくないところについて、皆さんも考えてみてください。


「いい写真」とは 
 結論から言えば、「いい写真」の定義は目的によって違います。持論ですが、写真には二つの大きな機能があります。それは、芸術記録です。
 例えば、家族で温泉旅行をするときのことを考えてみてください。あなたはきっと、旅行に行くときに乗る列車や、立ち寄った観光地、おいしい食べ物、泊まる旅館などを撮ることでしょう。さらに、同行した家族も一緒に、その写真に収めるのではないでしょうか。そして、旅行で撮った写真はそのあとどうなるのかというと、きっとしばらく後に見返して、「ああ、こんなところに行ったよね」「お昼に食べたそばがおいしかったよね」「この時の服ダサかったね」とか、そんな思い出話の種になるわけです。つまり、記憶を呼び起こすための糸口、記録です。極端な話、記録としての写真は、必要なものが必要なだけ写っていればそれだけで十分機能をなします。他方、芸術としての写真は例示するのが少々難しいように思います。芸術的な写真は、それを見ることで「美しい」とか「悲しい」とか、感情に働きかけることがあります。多くの場合、写真は芸術と記録との機能の両方を持ち合わせています。何のことはない日常の記録だとしても、そこに感情に働きかける要素があれば、その思い出をより鮮やかに引き出すことができます。記録に芸術的なエッセンスが加わることで写真がより効果的なものになるわけです。「いい写真」とは、写真を撮る目的に応じて、芸術性と記録性がうまくバランスしたものである、と言えるのではないでしょうか。


だいじなこと
 ここでは、写真の芸術性は考えないことにして、「いい写真」を撮るために抑えておかなければならない三つの要素を紹介します。それは、
  • 構図
  • 露出
  • 時機
です。
 構図はすべての種類の写真にとって重要なものです。主題がどこにいるのか、主題はどこを向いているのか、背景は主題を引き立てているか、など、主題(最も伝えたいこと、最も大事なもの)が画面のどこにどのようにあるのか、ということが、記録性に対しても芸術性に対しても大きく影響してきます。
 露出も同様に重要なものです。主題の明るさは適切か、背景の明るさとのバランスはどうか、など、主題を適切に写し取るために必要なものです。
 時機、いわばタイミングもきわめて重要です。人を撮るのに目が瞑ってしまっているとか、紅葉を撮るのに行ってみたら葉が全部散ってしまっているとか、時機を逃すことは写真を撮るにあたって非常にもったいないものなのです。
 これら三つの要素をしっかり抑えさえすれば、どんなカメラでも「いい写真」を撮ることができます。ここにあえて「画質」を含めませんでしたが、画質、つまり絵がどれだけきれいか、というのは、記録性の面でも芸術性の面でも、さほど重要ではありません(もちろんそれが重要なケースもありますが、個人的な趣味として楽しむためであれば気にすることはありません)。
 自分が撮りたい、人に伝えたい、面白いと思ったもの・ことを、この三つの観点から適当に切り取ることができれば、それだけで写真の意義は十分です。今や、スマートフォンに搭載されているカメラの性能もかなり高いレベルになってきています。ですから、カメラ自体にむやみやたらにお金をかけなくても大丈夫です。


報道写真を見ろ
 いま挙げた写真の三つの要素を適切に満たす身近な例が、報道写真です。報道の目的は、世の中で起きた出来事を人々に知らしめることです。したがって、その出来事を象徴するヒトやモノが、画面に適当な構図で、適当な明るさで、適当なタイミングで写されていなくてはなりません。そういう意味で、報道写真はなかなか参考にできるところがあります。写真の記録性が特に重要視されるのが報道写真ですが、たまにこのような芸術的な写真が世に出ることさえあります。


下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる
 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」とはよく言ったもので、写真でも同じようなことが言えます。むやみやたらにシャッターを切るのはよくない(高速連写なんてもってのほか)というのが持論ですが、タイミングや構図、露出を考えながら、たくさんシャッターを切ることは、「いい写真」を撮るためには効果的です。あとで選ぶのが大変になりますが、どういう条件で撮るとどういう写真になるのか、というのを学ぶには大切なステップです。最近はメモリーカードも大容量で安くなっていますから、たくさん写真を撮ることにさほど抵抗はないのではないでしょうか。


 というわけで、抽象的ではありますが、「いい写真」について私の持論を述べてみました。以上のような観点から初めの小田原城の写真を眺めてみると、果たしてどうでしょうか?まだ詳細な話をしていないので、技術的なところは抜きにするとして、何か思うところはないでしょうか?例えば、この写真はWikipediaに載せられるでしょうか?


 次回以降はもう少し実践的なお話をしたいと思います。更新がいつになるかはわかりませんが、お楽しみに。てくねちおでした。

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